頭皮 薄毛 抜け毛の悩みをぶっ壊す 発毛法

頭皮 薄毛 抜け毛の悩みをぶっ壊す 発毛方法

薄毛でお悩みの方を救済する「頭皮 薄毛 抜け毛の悩みをぶっ壊す 発毛方法」約30年間薄毛と共に生きてきましたが、ある情報がきっかけで結構改善されました。正直もう完全に諦めていたのに、61歳にしてまさか生えて来るとは本当に想定外。おかげさまで副作用も全く無くどこまで復活するか、これからが楽しみです。

吉本興業 明石家さんまさん

 皆さん、こんばんは。

薄毛治療放置歴30年の超ベテラン、

7月7日七夕生まれの、

ミスターヒコボシです。

 

本日は、しゃべり出したら止まらない、

黙っている姿が想像しにくい、

いつも明るく、パワーみなぎる、

お笑い芸人の鏡の様な、

明石家さんまさんの登場です!

 

プロフィール

 

奈良県立奈良商業高等学校出身

(現・奈良県立奈良朱雀高等学校)

生年月日 1955年7月1日

身長 172cm

体重 61kg

血液型 B型

師匠 2代目笑福亭松之助

事務所 吉本興業(マネジメント)

    オフィス事務所(個人事務所)

同期 島田紳助オール阪神、巨人

   関根勤桂小枝

 

経歴

 

奈良県立三笠中学校  

軟式テニス部所属。掛け持ちで1ヶ月だけ、相撲部に在籍。

なんと奈良市2位になる快挙!

この頃から、何か持っていたのかも・・・。

 

奈良県立奈良商業高等学校

※サッカー部に所属。県大会ベスト4。

 

※当時サッカーの世界的スターで、元北アイルランド代表の

 ジョージ・ベストの髪型をマネし、

 女子からも、人気があったらしい。

 

※時々授業を抜け出しパチンコに没頭し、

 戦利品は、みんなに分配していた。

 サービス精神旺盛の原点?

 

※高校3年の時、笑福亭松之助に弟子入り。

 

★入門後

※当初の芸名は「笑福亭さんま」であった。

「さんま」の由来は、実家が「さんま」の

水産加工工業を営んでいた為。

 

※入門して半年もしないうちに、京都花月で初舞台を踏む。

 

さんま駆け落ち事件

 

入門直後、内弟子修行を放棄し、当時交際していた女性と共に上京。

東京で一旗揚げようとするが、上手くいかず、ほどなく帰阪する。

 

★1976年 明石家さんまの名前で、同期の桂小枝らと、

       読売テレビ「11PM」でテレビデビューを果たす。

 

横山やすしさん

 

「11PM」に出演していた、横山やすしさんに気に入られ、

頻繁に、朝まで飲みに付き合わされる。

 

ただ横山やすしさんは、この頃吉本興業の社員に対し、

「さんまは面白い」と売り込んでくれたという。

 

ヤングおーおー

 

毎日放送の人気バラエティ番組「ヤングおーおー」に初出演。

当時司会の桂三枝さん(現・桂文枝)の目に留まり、

1978年から、レギュラー出演を果たす。

いらっしゃ~い!

 

SOS

 

 「ヤングおーおー」の番組内のユニット「ザ・パンダ

(4代目林家小染さん、月亭八方さん、桂きん枝さん、桂文珍さん)を

改編して、新たに明石家さんまさんを加入させた

「サニーズ・オオサカ・スペシャル(SOS)」を立ち上げ、

諸先輩を差し置いて1コーナーを任される様になる。

 

この頃、私はテレビでよく「ヤングおーおー」を、

楽しみにして見ていましたが、観客をしっかりと笑わすと同時に、

常に、先輩たちの鋭い「嫉妬」に似た感じの視線を気にしている感が、

ブラウン管←古っ!( 笑)を通じて伝わってきていました。

出過ぎた杭は、打たれない?

 

★1979年 ※関西テレビ

        「誰がカバやねんロックンロールショー」で、

        初のMCに抜擢される。

       

       ※「裸の大将放浪記」で、和菓子屋の番頭役でゲスト出演。

 

★1981年 ※桂三枝の指名により「ヤングおーおー」の

        後継MCに就任。

        2年9ヶ月間、番組終了まで、大黒柱として活躍した。

 

       ※同年「オレたちひょうきん族」に

        レギュラー出演を果たす。

 

★1985年 第1回東京国際映画祭 タモリさんと共にMCを務める。

 

★1987年 ファミリコンピューター用ソフト「さんまの名探偵」が、

       ナムコより発売される。

 

★1989年 『FNSスーパースペシャル一億人のテレビ夢列島』の

       MCを、1987年に引き続き、

       再びタモリさんと担当する。

 

★1995年 ※1994年にバイク事故で大けがをした

        ビートたけしさんを助ける為、

        「第9回FNSの日・1億2500万人超夏列島

        そのうちなんとか・・・23時間」に出演。

        たけしさんと実質MCの役割を果たす。

 

       ※9月29日、11年6ヶ月程レギュラー出演していた、

        フジテレビの「笑っていいとも!」を卒業する。

 

★1996年 刑事ドラマ「古畑任三郎」シーズン2の初回スペシャルに、

       犯人役でゲスト出演する。

 

★2004年 韓国ドラマ『冬のソナタ』の「ヨン様」の髪型に似せた、

       カツラを被り「サン様」として笑いを取った。

 

★2005年 50歳の誕生日記念番組「明石家さんまつり」が、

       深夜に生放送される。

 

★2008年 「第22回FNS27時間テレビ!!みんな笑顔の

        ひょうきん夢列島!!」の総合司会を務める。

 

★2009年 さんまさんの猛反対を押し切って、娘のIMALUさんが、

       芸能界デビューする。

       

     どうゆうこと?

       

     しょうゆうこと(笑)

 

★2014年 「笑っていいとも!グランドフィナーレ感謝の超特大号」

        に、ゲスト出演する。

 

★2016年 初のNHKでのMCかつ冠番組

       「第1回明石家紅白!」が放送される。

 

 

ターニングポイント

 

明石家さんまさんの現在の活躍に繋がった1番のターニングポイントは、

1981年、桂三枝さんに指名されて務めることになった、

「ヤングおーおー」のMCだった様に思います。

 

25,6歳の若い頃に、人気盛りの30過ぎの先輩たちを差し置いての

抜擢ですから、必要以上にプレッシャーを掛けられたであろうことは、

容易に想像できます。

 

つらいことも、おくびにも出さず、生来の明るさとサービス精神で、

全て跳ね返しでしょう。

 

 

壮絶な体験をした過去

 

世間一般には、あまり知られていないかもしれませんが、

明石家さんまさんには、結構壮絶な過去があります。

 

3歳の時に母親を亡くし、小学校4年生になった多感な時期に、

父親が再婚します。

 

その義理の母親が、あからさまに「さんまさん」を

徹底無視した様です。

 

健気な「さんまさん」は、腹違いの弟ばかりかわいがる義母に、

なんとか気に入られ様と、子供ながらに、毎日必死に考えて、

笑わせようとした様です。

 

ただ、そんな努力もむなしく「あの子は、いらない子」的な言葉が、

となりの部屋から聞こえてきたりして、布団に潜り込んで、

涙した事も、一度や二度ではなかったそうです。

 

この様な状態でも、腹違いの弟とは、とても仲が良かったのですが、

さんまさんが、既に芸能界で活躍し始めていた頃に、実家が火事になり、

あろうことか、年の離れた当時19歳だった弟さんが犠牲になり、

焼死してしまいました。

 

あまりにもショッキングな出来事に、さすがの「さんまさん」も、

観客を笑わせる気力もうせて、一時期芸能界の引退も考えるほど

落ち込んだそうです。

 

そういった壮絶な過去を、微塵も感じさせない、

想像することすら出来ないほど、明るさを前面に出して、

周りの人を笑わせるのが好きで好きでしょうがない、

サービス精神旺盛の、お調子者の軽い人間を、

敢えて演じているとしたら、かなり奥が深いですね。

 

もしそうだとしても、これから先もずっと、いつまでも、

周りの人間を、楽しい気持ちにさせ続けていって欲しいですね。

 

では、今日の所はこの辺で。

 

また次回、元気でお会いしましょう。