頭皮 薄毛 抜け毛の悩みをぶっ壊す 発毛法

頭皮 薄毛 抜け毛の悩みをぶっ壊す 発毛方法

薄毛でお悩みの方を救済する「頭皮 薄毛 抜け毛の悩みをぶっ壊す 発毛方法」約30年間薄毛と共に生きてきましたが、ある情報がきっかけで結構改善されました。正直もう完全に諦めていたのに、61歳にしてまさか生えて来るとは本当に想定外。おかげさまで副作用も全く無くどこまで復活するか、これからが楽しみです。

タレント列伝 黒柳徹子さん

皆さん、こんばんは。

薄毛治療放置歴30年の超ベテラン、

7月7日七夕生まれの、

ミスターヒコボシです。

 

本日は、日本のテレビ司会者の第一人者であり、ベストセラー作家、

ユニセフ親善大使としても活躍中のマルチタレント、

黒柳徹子さんの登場です!

 

プロフィール

 

東洋音楽学校(現:東京音楽大学)声楽科卒業

生年月日 1933年8月9日

身長 163cm

血液型 A型

 

 経歴

 

 黒柳徹子さんの名前は本名で、両親が男の子が生まれると思って

「徹」にしようとしたら女の子だったので「子」をつけました。

 

失礼ながら、結構いいかげんな親御さんだったのかと思いきや、

なかなかどうして、立派なご両親です。

 

父親の黒柳守綱さんはNHK交響楽団の前身である、新交響楽団

コンサートマスターも務めたヴァイオリストで、母親の黒柳朝さんは、

父親が開業医で代々松山藩の家臣の名家の系列の御令嬢で、

声楽家でエッセイストでした。

 

エリートのニオイがプンプ~ン!(笑)。

 

尋常小学校(現:公立小学校)退学事件

 

※好奇心旺盛な少女だった黒柳徹子さんは、尋常小学校に入学後、

授業中に教室の窓からチンドン屋やツバメの巣に話しかけてみたり、

何か聞いてみたいことがあると、先生を待ち伏せして質問攻めに

してしまうといった行動を頻繁に行なった為「落ち着きのない子」

といったレッテルを貼られてしまった。

 

※困り果てた担任教師が「おたくのお嬢さんがいると、クラス中の

迷惑になります。」と必要以上に問題児扱いし、入学後わずか

3ケ月で退学させられてしまう。

 

※かなりヒドイ話に聞こえるが、黒柳徹子さんが過ごした幼少期は、

昭和戦前期で、わずかではあるが、小学校の留年や退学といった文化は、存在していた様である。

 

★トモエ学園

尋常小学校から目黒区自由が丘にあった、私立の小学校

「トモエ学園」に転校した。

 

※自由な校風で知られる「トモエ学園」の校長は、折に触れて、

「君は本当は、いい子なんだよ。」と声をかけてくれた。

 

※その言葉の真意は「いい子じゃないと人に思われることがあっても、

君の本当の性格は悪くなくて、いいところがある。」ということで、

尋常小学校では問題視された行動も、個性として、

全て肯定してもらえることができ、後の黒柳さんの成長に繋がったと、

後年になって、本人が述べています。

 

香蘭女学校

※5年制の旧制女学校で、現代の中学校、高等学校にあたる。

 

※高等女学校に進学する生徒は、当時それほど多くなく、

女学校を出ていると高学歴といわれる時代だった。

 

香蘭女学校は品川区旗の台にあり、お嬢様学校として有名で、

父親の職業が、官僚や銀行員、会社経営者といった、

当時のエリート階層の子供が、多く通っていた。

 

★ 東洋音楽学校(現:東京音楽大学 )声楽科

両親が音楽家だったことも影響し、オペラ歌手を目指して入学した。

 

★慶応大学文学部

東洋音楽学校卒業後、オペラ歌手は諦めて、

聴講生として、慶応大学文学部で勉強した。

 

NHK放送劇団

※今後について思案していた所、劇団に入団すれば、

将来母親になって、自分の子供に絵本や人形劇を

読み聞かせることが出来ると思い始めていた。

 

※.そんな時、たまたま新聞で、NHK放送劇団

俳優募集の広告を見かけ、応募したところ、

約6000人の応募者があったにもかかわらず、

第6次までの審査を経て、最終選ばれた13人の

劇団員の中に残り、合格を勝ち取った。

 

★1953年

テレビ女優第一号の一人として、NHK放送劇団員の一員となった。

 

★1954年

初主演となったラジオドラマ『ヤン坊ニン坊トン坊』が、

NHKラジオ第1で、放送を開始した。

 

★1956年

人形劇「チロリン村とくるみの木」がNHK総合テレビで放送され、ピーナッツのピー子の声で出演した。

 

★1958年

※『第9回NHK紅白歌合戦』で、自身初の紅組司会を務めた。

 

※1980年~1983年までの4年連続、通算5回の紅組司会を

務めることになるが、4年連続、通算5回の紅白司会は、いずれも

佐良直美さんに並び、最多記録である。

 

★1960年

NHK総合テレビ放送の人形劇「ブーフーウー」に

三匹の子ブタ兄弟の三男の「ウー」の声で出演した。

 

※私も幼少期によく見て、お世話になったテレビ番組で、

頑張り屋の三男で、レンガの丈夫な家を作った「ウー」の声が、

黒柳徹子さんだったと最近知り、感慨深いものがあります。

 

★1976年

※現在も続いている超長寿番組『徹子の部屋』の放送がスタートした。

 

※この番組のスタートをきっかけに「悪女役をしていたら、悪い人が話を

聞いているみたいになる。」とか「役を演じながら司会もやるとなると、

混乱を招く可能性がある。」といった考えから、テレビでの女優活動を

控える様になった。

 

タマネギ頭

 

大好きなマリー・アントワネットの髪型をモデルにしたと言われている、

黒柳徹子さんの独特の「タマネギ頭」と称される髪型には、それなりに

意味があり、『徹子の部屋』で毎日髪型を変えると、黒柳さんの

髪の方に視聴者の目が集中してしまい、ゲストに向かないのを避けるのが、

一番の理由です。

 

また髪の毛をポケットとして使っており、アメ玉等を入れて置き、

子供たちに会った時にプレゼントすると、一段と笑顔が広がる様です。

 

歌番組の「ザ・ベストテン」の司会の時の、早口でまくしたてる

イメージが強かったのですが、まったりとした良い話ですね。

 

黒柳さんは、健康には人一倍気を使っている様で、

故、ジャイアント馬場さんから教えてもらったヒンズースクワットは、

毎晩50回、欠かさず続けている様で、100歳までは元気で

働き続けたいと言っています。

 

今の元気な姿を見ていると、100歳を超えても活躍している姿を

充分見ることができそうで、楽しみです。

 

では、今日のところはこの辺で。

 

また次回、元気でお会いしましょう。