頭皮 薄毛 抜け毛の悩みをぶっ壊す 発毛法

頭皮 薄毛 抜け毛の悩みをぶっ壊す 発毛方法

薄毛でお悩みの方を救済する「頭皮 薄毛 抜け毛の悩みをぶっ壊す 発毛方法」約30年間薄毛と共に生きてきましたが、ある情報がきっかけで結構改善されました。正直もう完全に諦めていたのに、61歳にしてまさか生えて来るとは本当に想定外。おかげさまで副作用も全く無くどこまで復活するか、これからが楽しみです。

お笑いタレント 志村けんさん

皆さん、こんばんは。

薄毛放置歴30年の超ベテラン、

7月7日七夕生まれの、

ミスターヒコボシです。

 

今日は、お笑いタレントだけではなく、動物愛好家、

健康オタクとしても知られ、コメンテーター的存在

としても活躍している、志村けんさんの登場です!

 

プロフィール

 

東京都立久留米高等学校(現・東久留米総合高校)→放送大学出身

生年月日 1950年2月20日

身長 166.7cm

体重65.3kg

血液型 O型

 

経歴

 

★東村山秋津小学校分校→東村山市立化成小学校

※父親は柔道5段の猛者で、躾にとても厳しく、よく殴られた。

小さい頃は怖くて、ロクに口もきけなかったらしい。

 

うちの親父とそっくり(笑)。

柔道5段で恐ろしかった・・・。

 

※小学校1年生の時、運動会の徒競走のスタートの瞬間、

緊張のあまりウンコを漏らしてしまい、

「やすべい くそべい うんこべい」という、

ありがたくないあだ名をつけられてしまった。

 

※小学校4年生の時、落語のレコードを聴いて、

お笑いに目覚めた。

 

東村山市立第二中学校

※卓球部に所属するものの、わずか3ケ月で退部する。

 

※中学時代から、将来の夢をお笑いタレントとしており、

文化祭等でコントを披露した。

 

※この頃、小学校の教頭だった父親が交通事故に遭い、

その後遺症で働けなくなる等、経済的に厳しい状況となる。

 

※そういった状況からも、いろんなアルバイトをした。

・顕微鏡製造会社で1日中、ヤスリで顕微鏡の台を削る仕事。

・ゴルフ場のキャディ(小金井カントリークラブ

プロ野球選手の金田正一さんからチップをもらった事もある。

・段ボール工場勤務。

 

※勉強はあまり得意ではなかったが、中学3年生の1年間だけ、

真剣に勉強して、無事都立高校に合格した。

 

★東京都立久留米高等学校(現・東久留米総合高校

※新設高校に1期生として入学し、先輩がいない、

自由な雰囲気を楽しんだ。

 

※高1の時は、校舎がまだ完成していなくて、近所の公園で、

ホームルームを行なった。←なんか、楽しそう!

 

※文化祭でトリオを組んで、小金井公会堂でコントを披露する。

今の志村けんさんを彷彿とさせる様に、腹巻にステテコ姿で、

口の周りを黒く塗った写真が残っているらしい。

 

※クラブ活動はサッカー部に入部し、ゴールキーパーをやっていた。

 

※応援団長をやった時、コント55号のコミカルな動きを取り入れた。

 

ビートルズの大ファンで、年中、長髪にタートルネック姿で通した。

 

※高2の時に、ビートルズ日本武道館公演を観に行った。

ドリフターズ前座の時ではなかった。)

 

※大学に進学するつもりはなかったので、特に高3の頃は、

よく授業をサボった。

 

★1968年

※高校卒業直前の2月の寒い時期に、いかりや長介さんの

家に押しかけて、弟子入りを志願する。

 

※雪の降りしきる中、12時間以上待ち続けたが、

門前払い同然の扱いで弟子入りを断られる。

 

※ただその後、あきらめず食い下がった根性を認められ、

一週間後に後楽園ホールに呼び出され、正式に採用された。

 

加藤茶さんの付き人をしたが、一年程で脱走し、

バーテンダー等のアルバイトをした時期があった。

 

※再び戻りたくなり、加藤茶さんの家に行って頼み、

いかりや長介さんに口添えしてもらったところ

「二度も弟子入りする奴は、よくよく好きなんだろう」と、

出戻りを許可してくれた。

 

※その後、しばらくの間は、加藤茶さんの付き人として、

加藤家に居候の身となった。

 

★1972年

22歳の時に井山淳さんとお笑いコンビ「マックボンボン」を

結成するも人気は出ず、低迷した。

 

★1973年

志村けん」に改名し「メンバー見習い」扱いで、

ドリフターズに加入した。

 

★1974年

3月31日にメンバーの荒井注が脱退し、4月1日に、

正式にドリフターズに加入する。

 

★1976年

※正式にメンバーになったものの、ギャグが空回りばかりして、

あまり受けず、2年間ほどスランプの時期があった。

 

※「東村山音頭」を「8時だョ!全員集合」の

「少年少女合唱隊」のコーナーで歌ったことがきっかけで、

一躍人気者になった。

 

★1979年

加藤茶さんとの「ヒゲダンス」が人気に一層火をつけることになる。

 

★1980年

「♪カラスの勝手でしょ~(童謡《七つの子》の替え歌)が

大いに受けて、引き続き人気を博した。

 

人気絶頂期!

 

★1985年

8時だョ!全員集合」の放送が終了する。

 

★1986年

※「加トちゃん、ケンちゃんごきげんテレビ」がスタートする。

 

※初の冠番組志村けんの失礼しまぁーす!」(日本テレビ

志村けんのだいじょうぶだぁ」(フジテレビ)

志村けんのバカ殿様」(フジテレビ)等、

立て続けに新番組を繰り出し、田代まさしさん、松本典子さん、

桑野信義さん、石野真子さん、ダチョウ倶楽部さんらとの、

活動が急激に増え、ドリフターズとは違う、独自の

お笑いコントのスタイルを確立した。

 

★1988年

晦日にニュース番組「デイトライト特別版」のキャスターを、

山中秀樹アナウンサーと担当する。

 

★1996年~2000年

「志村"X"」「志村”XYZ"」「shimura"X"天国」を

ゴールデンタイムから深夜まで担当した。

 

★1998年

「21世紀プロジェクト~年越し30時間テレビ、今日だけお見せ

数々の名番組大集合!~」に後半部に加藤茶さんと出演した。

 

★2001年

「銀座あたりでギン!ギン!ギン!」を研ナオコさんとの

デュエット曲としてリリースした。

 

★2002年

ハロー!プロジェクト所属で、当時大人気のミニモニと、

バカ殿様ミニモニ。姫」として活動する。

一世を風靡した持ちギャグの「アィーン!」を冠した曲も歌った。

 

★2004年

天才!志村どうぶつ園」(日本テレビ)がスタート。

自身がMCを務め、シャイで涙もろい人柄が反映されて、

人気番組に育った。

 

★2005年

※「たけし☆志村、史上最強の爆笑スペシャル!!」を、

ビートたけしさんと組んで制作し、たけし軍団

ダチョウ倶楽部も参加した。

 

ビートたけしさんのタップダンスと志村けんさんの三味線の

競演が人気を博した。

 

成り上がり

 

今から15年程前から、既にドリフターズのメンバーを遥かに凌ぐ、

人気者になって売れた志村けんさんですが、付き人時代は、かなり貧乏で、

食べるにも事欠く生活だった様です。

 

楽屋で、他のメンバーが食べていたラーメンも、

注文するお金がなかったので、メンバーの食べ残しを全部合わせて、

一人前のラーメンにして、付き人同士で分けて食べていたそうです。

 

「いつか必ず売れてやる!」といったハングリー精神が培われ、

最終的に、あのガンコだった、いかりや長介さんも、その実力を

認めざる負えない存在にまで、上り詰めました。

 

テレビ業界の未来

 

今やコメンテーター的存在としても、活躍している志村けんさんですが、

「クイズ番組が多すぎる」と最近のテレビ番組構成に、

警鐘を鳴らしています。

 

You tube等の攻勢に合い、テレビそのものの存在価値が、

問われる時代になってきました。

 

5Gの導入で、今後ますますテレビの立ち位置が

危ぶまれそうですが、私はテレビは一家団欒を、

より楽しませてくれる存在であって、

今後も、そうあり続けていって欲しいと思っています。

 

You tubeを否定する気は毛頭ないですが、個人的には

個で楽しむ媒体だと思っています。

 

たとえ自宅にデスクトップの大きなパソコンがあったとしても、

家族4人が囲んでYou tubeを楽しむ姿は想像できませんし、

まずないと思います。

 

少々くだらない内容でも、家族みんなが揃って、

各々が解説者気取りで、好きなことを言いあうのが

家族の団欒で、テレビはその一助となる貴重な存在だと

思っています。

 

私は元々、テレビっ子ではなかったと記憶していますが、

最近たしかに、見たいと思うテレビ番組が

少なくなった様に思います。

 

CMの収益で成り立っているので、視聴率を気にするのは、

充分わかりますが、テレビそのものがなくなってしまえば、

元も子もなくなります。

 

限られた制作費の中で大変でしょうが、もっと

肩の力を抜いて、楽めるテレビ番組を制作できる様に

業界の方々には頑張っていただきたいと思います。

 

では、今日の所はこの辺で。

 

また、次回お会いしましょう。