頭皮 薄毛 抜け毛の悩みをぶっ壊す 発毛法

頭皮 薄毛 抜け毛の悩みをぶっ壊す 発毛方法

薄毛でお悩みの方を救済する「頭皮 薄毛 抜け毛の悩みをぶっ壊す 発毛方法」約30年間薄毛と共に生きてきましたが、ある情報がきっかけで結構改善されました。正直もう完全に諦めていたのに、61歳にしてまさか生えて来るとは本当に想定外。おかげさまで副作用も全く無くどこまで復活するか、これからが楽しみです。

お笑いタレント タモリさん

皆さん、こんばんは。

薄毛治療放置歴30年の超ベテラン、

7月7日七夕生まれの、

ミスターヒコボシです。

 

本日は、毛沢東風中国人、マッカーサーアメリカ人、

ヒトラー風ドイツ人、そして寺山修司風日本人の

モノマネで繰り広げる「四ヶ国語親善マージャン」で、

一世を風靡したタモリさんの登場です。

 

プロフィール

 

福岡県立筑紫丘高等学校卒業

早稲田大学第二文学部西洋哲学専修除籍

生年月日 1945年8月22日

身長 161cm

体重 52kg

血液型 O型

事務所 田辺エージェンシー

同期 ザ・ハンダース 嘉門タツオ

 

経歴

 

★戦後の混乱期 

第二次世界大戦終戦から1週間後の、

1945年8月22日、福岡市南区にて誕生。

 

★福岡市立西高宮小学校

※3年生の下校中、何故か電柱に顔をぶつけてしまい、運悪く、

突起していたワイヤーが右目に突き刺さり、失明するという、

大変な不慮の事故に見舞われる。

サングラスをかけているのは、右目の義眼を隠すためである。

 

※祖母から「将来の為に、男でも料理が出来ないといけない」と言われ、

毎日、祖母が食事の支度をする様子を観察していた。

そのかいあってか、今では芸能界でも「料理の腕はプロ級」

と言われるまで、腕を挙げた。

 

★福岡市立高宮中学校

※陸上部と剣道部に所属する。

※船が大好きで、毎日の様に近所の港に船を見に行っていた。

※宣教師の手ぶり身振りの会話が面白いというだけで、教会に通う。

 

福岡県立筑紫丘高等学校(偏差値70の進学校

色々なことに興味を持ち、数々の部活動に参加する。

吹奏楽部でトランペット兼司会を担当。

※船の無線通信士にあこがれ、アマチュア無線クラブに所属する。

※中学から引き続き剣道部にも所属。

居合道場にも通い、二段の段位を取得した。

 

なんて!?アグレッシブな高校生活!!

 

★浪人時代

1年間の浪人時代、押し入れにこもって中国語、韓国語のラジオを、

長時間にわたって聞いて、勉強の気分転換をはかっていた。

 

この時の経験が、後の「6ヶ国語マージャン」等の、

「インチキ外国語芸」に生かされている。

 

早稲田大学第二文学部西洋哲学専修除籍

モダンジャズ研究会に所属。

※学生バンドのMCとして、テレビ出演もしていた。

 

※学費用として親から仕送りしてもらったお金を、

友人との旅行費として立て替えたが、返済してもらえず、

結果大学の学費が支払えなくなり、学費未納で、

除籍処分にされてしまう。

 

★サラリーマン時代

※大学を除籍処分された後も、しばらくモダンジャズ研究会の

マネージャーとして収入を得ていたが、福岡の叔父に、

呼び戻され、朝日生命に3年近く保険外交員として勤める。

この頃に同僚で、2歳年上の一般の女性と結婚する。

 

※旅行会社に転職し、大分県の系列のボウリング場の

支配人になる。

※喫茶店のマスターになる。

※大学時代のジャズ仲間のつながりで、芸能界の知人と知り合い、

徐々に交友の輪を広げていく。

 

居候

 

タモリさんの即興芸を見て、感動した赤塚不二夫さんは、

タモリの芸をもっと見たい」と思い、タモリさんを東京に上京させ、

自身の家に、居候させた。

 

芸能界

 

★1976年 

東京12チャンネルの深夜番組『空飛ぶモンティ・パイソン』で、

芸能界デビュー。

 

★1977年

赤塚不二夫滝大作高平哲郎らと「面白グループ」を結成し、

週3回以上の宴会を催す。

 

★1979年 

映画『下落合焼きとりムービー』に出演。

 

★1980年

芸能生活わずか5年のキャリアで、お笑いオーディション番組、

お笑いスター誕生!!」の審査員を務める。

 

★1982年

※『森田一義アワー笑っていいとも』と、

笑っていいとも!増刊号』が、スタートする。

 

当初は低視聴率だったものの、徐々に人気が出てきて、

2014年3月31日の番組終了迄、31年半ほど続いた、

超長寿番組となった。

 

※同時期にスタートした深夜バラエティ番組『タモリ倶楽部』も、

30年以上続く人気長寿番組となった。

 

★1983年 

『第34回NHK紅白歌合戦』の総合司会を務める。

当時、NHKアナウンサー以外の人が「NHK紅白歌合戦」の、

総合司会を務めたのは、史上初の快挙であった。

 

★1987年

音楽歌番組『ミュージックステーション』の2代目メインMCに就任。

 

★1990年代

タモリの音楽は世界だ!』『タモリボキャブラ天国

タモリのジャポニカロゴス』『プラタモリ』等でレギュラーを務める。

 

タモリさんだらけ状態!(笑)

 

★2002年

『笑っていいとも』が放送5000回を達成し、

「生放送単独司会世界最高記録」として、ギネスブックに登録される。

 

★2004年

『TOKYO坂道美学入門』を発売する。

 

★2008年 

恩人の赤塚不二夫さんが逝去。

告別式で生涯初めて弔辞を読んだ。

 

★2010年

第2回伊丹十三賞を受賞する。

 

★2013年

※『タモリ倶楽部』が、第50回ギャラクシー賞テレビ部門特別賞を

受賞する。

 

※第16回みうらじゅん賞を受賞する。

 

★2014年

第62回菊池寛賞を受賞する。

 

★2016年

12月19日「SMAP×SMAP」の「ビストロSMAP」に、

最後のゲストとして出演する。

 

★2019年

『FNN報道スペシャル平成の大晦日、令和につなぐ

テレビ知られざる皇室10の物語』の総合司会を務めた。

 

ビートたけしさん、明石家さんまさんと並んで、

日本のお笑いBIG3と呼ばれているタモリさんは、

3人の中で一番年上ですが、実は芸歴は一番短いのです。

 

1988年から1999年まで、

毎年、年末年始に放送されていた新春特別番組の

タモリ、たけし、さんまBIG3、世紀のゴルフマッチ」で、

ゴルフ歴も一番短かった事も手伝い、ラウンド中2人によく、

いじられたり、からかわれたりしていました。

 

2人を本気で見返そうと、お笑い抜きで(笑)、

腱鞘炎になるぐらいまで、仕事の合間に、

ゴルフの打ちっ放し場に通い詰める真面目な姿に、

芸能界でコツコツと努力して、現在の地位を築いた姿が、

ダブって見えてしまったものです。

 

これから先もずっと、安心して楽しめる、

安定した笑いを、もたらし続けていただきたいと思います。

 

いいとも!!

 

では、今日の所はこの辺で。

 

また次回、元気でお会いしましょう。