頭皮 薄毛 抜け毛の悩みをぶっ壊す 発毛法

薄毛放置歴30年のオヤジが発毛した薄毛治療法

約30年間薄毛と共に過ごしてきましたが、ある情報がきっかけで、薄毛治療を開始し、改善されつつあります。まさか61歳にしてこんなに改善されるなんて想像もしていませんでしたので、本当にビックリしました。おかげさまで副作用も全くないので、一体どこまで改善されるのか、楽しみしかありません。

山本昌さんが子供の頃、ジュースより好きだった飲み物

皆さん、こんばんは。

薄毛治療の放置歴30年の超ベテラン、

7月7日七夕生まれの、

ミスターヒコボシです。

 

本日は、史上最年長の43歳で200勝を達成し

中年の星」と呼ばれ、50歳での登板を花道に現役引退した、

プロ野球中日ドラゴンズの投手、山本昌さんの登場です!

 

プロフィール

 

日本大学藤沢高等学校出身

左投 左打 投手

生年月日 1965年8月11日

身長 186cm

体重 87㎏

血液型 AB型

 

経歴

 

★幼少期

※両親と兄と弟の5人家族だった。

 

※父親は保険の外交官で、演歌のレコードを発売するほど、

歌が得意だった。

 

※母親は自宅を改装して「山本商店」という駄菓子屋を経営。

 

※小さいころから、ジュース代わりに必ず牛乳を飲むほど、

牛乳が好きだった。

 

※夏は毎日、山に行ってクワガタ捕りをして遊んでいた。

 

★小学校時代

※引き続き牛乳が大好きで、1日2リットル飲むことも珍しくなかった。

 

※学校の給食で、牛乳が嫌いな友達は全員、山本さんの所へ

牛乳を持って行っていた。

 

※小学校3年生の時に「緑ヶ丘グリーンタイガース」という

少年野球チームに所属した。

 

※小学校4年の時に初めて試合に出場したが、かなりの弱小チームで、

1点も取れず、36点差で大敗を喫した。

 

※大敗したものの、野球をすることが心から楽しかったので、

この試合が、野球を愛するきっかけとなった。

 

※小学校6年生の時、横浜市から茅ケ崎市に引っ越し

「ブラックサニーズ」という野球チームで、ピッチャーをやったが、

エースにはなれなかった。

 

★神奈川県茅ケ崎市立松林中学校

※勉強が得意で、学校の成績も良かったので、

将来は、教師になりたいと思っていた。

 

軟式野球部に入部したが、練習は想定外に超ハードだった。

 

※特にバントの練習は厳しく、1番から9番まで全員が成功しないと

顔をビンタされ、成功するまで、延々と繰り返された。

 

※ずっと補欠だったが、2年生の時に、エースピッチャーだった同級生が、

腰を痛めて投げられなくなったので、エースナンバーを託され、

チャンスが巡ってきた。

 

※中学3年生の夏に神奈川大会に出場したことで、高校のスカウトの

目に留まり、日本大学藤沢高等学校にスポーツ推薦で入学する事になる。

 

日本大学藤沢高等学校

全国高等学校野球選手権大会の神奈川大会で、高校2年と高校3年の夏は、

2年連続ベスト8どまりだったので、甲子園出場の夢は果たせなかった。

 

※高校卒業後は、教師を目指すため、大学に進学するつもりだったが、

高校選抜チームの試合で好投し、監督から「プロでやっていける。」と

言われ、プロ入りを目指すことを決意した。

 

★1984年

長野県出身の父親が、中日ドラゴンズのファンだったこともあり、

ドラフト5位で、中日ドラゴンズに入団した。

 

★1986年

シーズン終盤の消化試合で、一軍初登板を果たすも防御率27.00だった。

 

★1987年

開幕一軍入りするものの、疲労骨折でひじを痛め、シーズン

3試合のみの登板で、防御率16.00だった。

 

★1988年

※2月にベロビーチで中日と業務提携していた

ロサンゼルス・ドジャースとキャンプを行ない、山本さんを含む

若手の5人が、野球交換留学として、そのままアメリカに残った。

 

※前年指導してくれたドジャースの世話役の、生原昭宏さんと再び出会い、

技術面だけではなく、生活習慣等に至るまで厳しく指導され、結果が出ず、

消えかけていた野球の情熱を、再びよみがえらせることが出来た。

 

※帰国して間もなく、中日の投手が足りなくなった状況もあり、

先発するチャンスが巡ってきて、スクリューボールや、精度の高い

コントロールを駆使して、一軍で5連勝を飾り、リーグ優勝に貢献した。

 

※この年のシーズンは、8試合のみの登板ながら、防御率0.55と、

格段の進歩を遂げた。

 

★1989年

5月27日の対読売ジャイアンツ戦で、シーズン初勝利を完封で飾る。

本人は後年、この1勝を最も思い出深い勝利に挙げている。

 

★1990年

プロ入り初の2桁勝利、10勝を挙げ、この年同じく左腕の

今中慎二さんも10勝を挙げ、90年代、共に左の2枚看板エースとして、

中日ドラゴンズの投手陣の柱になっていった。

 

★1993年

17勝5敗、防御率2.05の好成績を残し、最多勝最優秀防御率

Wタイトルを獲得した。

 

★1994年

19勝8敗とシーズン自己最多勝利を挙げ、最多勝のタイトルと、

初の沢村賞を受賞した。

 

★1997年

初の開幕投手を務め、18勝7敗で3年ぶり3度目の最多勝のタイトルと、

159個の三振を奪い、初の最多奪三振のタイトルを獲得した

 

★2000年

※チームの左腕の勝ち頭として、3年ぶりの2桁勝利の11勝を挙げた。

 

防御率もチームの全日程を終えた時点では、リーグトップに立っていたが、

リーグの最終戦で、粘りのピッチングを見せた、ヤクルトスワローズ

石井一久さんに抜かれ、なんとわずか0,0004点差という僅差でタイトルを逃した。

 

★2004年

13勝6敗の好成績で、川上憲伸さんと左右のエースとしてチームを引っ張り、

リーグ優勝に貢献した。

 

★2006年

※9月9日対広島カープ戦で、新井貴浩さんから三振を奪い、

通算2,000奪三振を達成した。

 

※9月6日ナゴヤドームでの対阪神タイガース戦で、41歳1ケ月にして、

プロ野球史上73人目となる、ノーヒットノーランを達成し、

当時のプロ野球最年長記録を樹立した。

 

※左腕に限った記録では、世界最年長記録のノーヒットノーランだった。

 

※この年のシーズンは、11勝7敗の成績を残し、40歳代としては、

若林忠志さん、村田兆治さん、工藤公康さんに次いで4人目の

2桁勝利だった。

 

★2008年

8月4日ナゴヤドームの対巨人戦で、完投勝利を収め、プロ野球史上

24人目となる、通算200勝を達成した。

 

★2010年

9月4日の対巨人戦で完封勝利を挙げ、1950年に毎日オリオンズ

若林 忠志さんが達成した、史上最年長完封勝利の日本記録(42歳8ケ月)と

2008年に自身が記録した、最年長完投勝利記録を更新(45歳0ケ月)した。

 

★2015年

50歳1ケ月と26日で迎えた10月7日の対広島カープ戦で、

日本プロ野球史上初の50歳出場登板を果たし、現役を引退した。

 

通算成績219勝、奪三振2310で、勝率5割7分と素晴らしい記録を

残した山本昌さんですが、入団当初は、投球速度が130キロ前後で、

コントロール能力も低く、失礼ながら、どう見ても、

プロで通用する素材ではありませんでした。

 

努力を怠らず、諦めなかった結果だと、一言で言うのは簡単ですが、

紆余曲折、大変な苦難を乗り越えてきたのは、間違いないでしょう。

 

今年の、我らが阪神タイガースの秋季キャンプで、臨時ピッチングコーチ

を務めていただきましたが、投手のみならず、野手からも、

そのコーチングぶりは絶賛されています。

 

現有コーチングスタッフとの兼ね合いが難しい部分ではありますが、

春のキャンプにも臨時ピッチングコーチとして来て頂ける様で、有り難い話です。

 

現役時代に色々と苦労し、修羅場をくぐってきた分、引き出しは

沢山持っているみたいですので、阪神タイガースの投手陣は、

その引き出しを全開させるぐらい質問攻めにして、そのノウハウを

しっかり身に付ける努力をして、優勝に結び付けてもらいたいですね。

 

では、今日の所はこの辺で。

 

また次回、元気でお会いしましょう。www.m-hikoboshi.com